TrashyHeaven’sDiary

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JASRACモデルの限界を超えて――「初音ミク」という“創作の実験”

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/26/news029.html
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どこで読んだのか、はっきりと覚えていないのだけど、京極夏彦がエッセイで「本を高いと思ったことは無い」というニュアンスの話を書いていた。
僕も同じ気持ちである。
「高くて買えない」と思ったことはあるけれど、「高いから買わない」と思ったことは、全然とは言い切らないけれど、殆んど、無い。
これは、漫画でも、音楽でも、映画でも、同じだ。
なぜ、高価なのか。
それは、作るのが大変だからだ。労力が、かかるからだ。
受け取る側として、対価を払うのは当然だと思うから、お金を払う。それは、感謝であり、誠意だし、次も頼むっていう応援でもある。
(受け取らないなら、払う必要はない。あたりまえだが)
(時には、値段相応に楽しめないこともあるけれど、値段以上に楽しめる事だってあるから、それで相殺される)
だから、そこに悪質な中間搾取が存在していようとも、対価を払うこと以外に、クリエイターに対して、何もできないのならば、黙して金銭を差し出すしかないと思っている。
そう思うから、僕は、――創作者に何の還元ももたらさずに、言い換えれば、僕が何も失うことなく、創作物を楽しめる方法があるのを知っていて、それを使うという欲望と戦いながら、そして正直に言えば、たまに負けながら――数多の創作物に対価を払い続けている。
もし、僕が最も愛好する本というものが、音楽や映像のように、簡単にコピーできて、無料で違法に、それでいてお気軽に、そこここへ流せたとしても、僕はそれを、受け取りはしないだろう。


でも、上記にあげた「悪質な中間搾取」がなくなったほうが良いのは、至極当然なわけで。
話はずれるけれど、「皆で作り上げてきたもの」を「皆のもの」のままにしておくことも大切だし、けれど、発案者が何らかの評価を受けるのも当たり前だと思うし。
要するに、既存のシステムの悪いところを、受け取る側に近い視線で見直して、変えていこうとしているクリプトンには頑張って欲しいなぁと思う次第。


結局何を言いたいんだか良くわからないのは仕様です。草木も眠るような時間に何をしてるんでしょうね、僕は。とか、なんとか、そんな感じの戯言。