ダヴィンチの特集でケータイ小説が取り上げられていて、17,8の女の子が四人対談していました。
読んでみました。
彼女たちと同じ国に住んでいる気がしません。
縦書きの文章が読みづらいってアナタ、それでも日本人ですか。ッて言うか、むしろ僕は横書きの文章を長時間読んでると眠くなるんですが。
彼女たちの文化圏と、僕の文化圏とい言うものは完全に違っていて、例えば、オタクなネタがたっぷりの「らき☆すた」を確実に彼女たちが楽しめないように、僕がケータイ小説なんぞ読んだところで、楽しめるわけが無いんだなと感じました。
ケータイ小説は、小説とは銘打っているものの、僕が普段読んでいる小説とは、根本からして違うものに思えます。
リアリティの話
出会い系やレイプやホストやキャバ嬢に彼女たちはリアルを感じるようです。そして、既存の小説は、現実的ではないらしいです。
けれども、一方で、カッコイイ男の子に囲まれる話や、ある日突然大金持ちになる話でも、主人公が女子高生であるならば、或る程度共感できるとも話しています。
これって、つまり、想像力が欠けているんじゃないだろうかと思います。彼女は自分たちとほぼ同一である存在にしか感情移入できないのですから。
僕は、世界設定が中世ヨーロッパだろうが、何千年後もの未来だろうが、主人公が中年のおばさんだろうが、人間ですらない生き物だろうが、その立場に立って――つまり、その立場に自分をおいてシミュレートして――感情移入し、物語を楽しむことができます。
ですが、彼女たちにはどうやらそんなことはできず、同じ時代の、同じ日本の、主人公が自分たちと同じ女子高生の、そして、自分たちのリアルの延長線上にある(と、彼女たちが考える)範囲の物語しか受け入れることができないのです。
ちょっと同情しますね。自分と自分の周囲の状況の延長にしか共感できないなんて。なんてつまらないんでしょう。
純愛という名の都市伝説
幽霊や怪物の話はまるっきり信じなくても、「ハンバーガーにはミミズの肉が使われている」とか「海で怪我をしたら、傷口からフジツボが入り込んで繁殖していた」なんていう話は、もしかしたら……と思うのではないでしょうか。これは要するに、それらの幽霊や怪物の登場しない都市伝説は、そこに誰がどう見ても非科学的である事象が介在しないために、現実と地続きであるかのように感じられるということだと思います。
このような無根拠な都市伝説=噂は口コミで伝播します。それが、実際に起こった出来事だという触れ込みで。
そして、これはケータイ小説も同じなのです。ケータイ小説のブームは口コミで発生しました。そして、それらの物語は、実際に作者が体験した出来事をベースにしているという触れ込みで書かれています。
それでは、このケータイ小説という“都市伝説”は何を広めているのか、と考えて、それは限りなく嘘くさくて口にするのも恥ずかしいような“純愛”なのではないかと思いました。
ケータイ小説は、恋愛を書いたものがメインです。そして、その読者たる彼女たちは、「最後は彼氏が死んじゃうし、自分はエイズになる」ような「自分を犠牲にしてまで彼を愛」する物語を“リアル”であると感じます。しかしながら、そんな美談になるような“純愛”が世の中にありふれているわけは無く、実際は、運命の人なんてころころと入れ替わり、離婚率はどーにも下がらないのが現状です。
けれども、そういう現実世界の中で、彼女たちは自分たちのところに“純愛”が訪れると信じたいんじゃないかな、と思います。で、それを信じるための根拠になるのが“現実にあったらしい”話を書いた、“リアリティがある”ケータイ小説なのではないかと思うのです。