TrashyHeaven’sDiary

主に読書記録とか

『空想東京百景』の感想を書きつつ、思い出した、いつか真面目に書きたいこと。

ひぐらしとサンホラの共通点、つまりは“受け手に欠如を埋めさせる思考をさせる”というエンタメの新しい形式について。『空想東京百景』もこの部類。
簡単に書くと、あえて全てを見せないことによって、受け手が考えずにはいられないように仕向けるという手法。具体的には、
 ①起承転結の「結」を消し去る←ひぐらしの問題編…バッドエンドしか見せないことで、真のエンディング=解決を見せない
 ②断片しか描かない←サンホラ…曲と曲との繋がり、背景にある物語などを、描写しない。『空想東京百景』もコレ。
従来もあった「他の描写から見てわかり切っている事を、余韻を残すためにぼかす」のではなく、到底わかりえないか、真剣に考えなければわからないような隠し方をするのが、①と②のタイプ。こういう手法は、これからももっと増えると思う。エヴァなんかも放映当時は用語解説本なんかもでて、こんな感じだったらしいが、こちらはひとりや小さな仲間うちでじゃなく、もっと大きなネット上での議論の盛り上がりを計算に入れた上での戦略、というか。コミュニケーションツールともなり得ることに自覚的、と言うか。

 亜種として、③そもそも設定しない、というのもある気がする。設定をしないことによって、キャラクターの細かな設定をユーザー(主にネット上の)に任せ、そのそれぞれが妄想する設定が、やがて集合して、共通認識になるというヤツで、東方やらボカロやらがこれかと(このタイプは、今のところ、戦略と言うよりか、結果的にそうなる、というだけだが)。これって、つまりは、「ネットにアクセスする複数の意識の思考結果が集合し、架空のキャラクターを設定して動かす」というわけで、こう書くとやたらSFっぽい。そのうちネット上に仮想人格が出来上がりそうだ。……でも、腐女子が昔からやってきたことってこれじゃね?とも思う。